日本ILO協議会

ごあいさつ

 創立 100 周年を迎えた ILO は、新たな 一歩を踏み出そうとした今年、世界中が 新型コロナ・ウイルス感染症に襲われる という歴史的な事態に直面しました。収 束の予測もつかないまま、6 月の総会さえ 延期しなければなりませんでした。1940 年代前半における第二次世界大戦中を除 いて、初めての措置です
  振 り 返 っ て み れ ば、ILO が 発 足 し た 1919 年は、「スペイン風邪」と呼ばれた、 当時の新型インフルエンザ・ウイルスが、 世界的に猛威を振るった時期に重なりま す。今回のコロナ禍が 100 年に一度の災 厄と言われるのも、そのためです。ILO の 設立は、第一次世界大戦を引き起こした 反省に根ざし、ベルサイユ条約に基づく 戦後処理の一環でした。スペイン風邪の 流行が、誕生したばかりの ILO にとって、 大きな妨げであったことは想像に難くあ りません。
 コロナ禍への対処として、「ソーシャ ル・ディスタンス(社会的距離)」という 耳慣れない言葉は、日本でもたちまちに 浸透しましたが、ILOの基本理念ともいうべ き、政労使三者による「ソーシャル・ダイア ローグ(社会的対話)」の認知度は、残念なが ら、極めて低いままにとどまっています。しかし、コロナ禍が もたらす社会的・経済的被害として雇用・ 労働問題が大きな比重を占めており、こ れらへの政策的な対応は、差し当たり既 存の社会保障制度とその拡充に頼らざる を得ません。これまで ILO が蓄積してき た国際労働基準としての条約・勧告に対 する、加盟各国による従来からの取り組 み姿勢が問われていると言うこともでき ます。それだけに、「ソーシャル・ダイア ローグ」の意義も、いっそう高まってい るはずです。
 ILO 活動推進日本協議会(日本 ILO 協 議会)は、2011 年、東日本大震災の年に 発足しました。この大震災が日本社会に 突きつけた数多くの課題は未だ十分な解 決をみない上に、さらに、コロナ禍に見 舞われるという厳しい状況が続いていま す。ILO が掲げる、人間らしい生活につな げる働き方としての「ディーセント・ワー ク」は、ともすれば絵空事として片付け られるかもしれません。とはいえ、コロ ナ禍がそれぞれの社会の矛盾を浮き彫り にしたと受け止めるなら、復興・復旧の ひとつの手がかりとして、「ディーセント・ ワーク」が重要な意味を有しているとい う捉え方もできるのではないでしょうか。
 付言すれば、2020 年は第二次世界大戦 の終結から 75 年に当たりますが、ILO 創 立時からの加盟国であった日本は、1930 年代に脱退したため(38 年通告、40 年 正式脱退)、戦後の加盟は 1951 年のこと でした。この年のサンフランシスコ条約 によって日本は占領を解かれ、ILO への再 加盟は、国際連合加盟(1956 年)に先立 つ、国際社会への復帰を象徴しました。
 来年 2021 年は、日本が ILO と再び歩 み始めて 70 年、人間の数え年に例えれ ば今年は「古希」なのです。残念ながら、 それでも基本8条約のひとつでもある「雇 用や職業における差別撤廃に関する 111 号条約」を批准するには至っていません。 もはや外国人を恃みとせずに社会が成り 立たない以上、コロナ禍がなくとも、また、 コロナ禍への対応としても、111 号条約 が提示する枠組みが強く望まれます。
 ILO 活動の推進がいっそう求められる中 にありながら、新型コロナ・ウイルス感 染症への対応のために従前の事業すら実 施できない時期に、理事長の任を引き受 けるのは、あまりにも荷が重過ぎると躊 躇しました。にもかかわらず、あえてバ トンタッチに応じたのは、発足時から足 掛け 10 年、日本 ILO 協議会を支えてこら れた木村愛子前理事長はじめ多くの方々 の、ILO の重要性に対する認識とそこに寄 せる “ 想い ” に共鳴するからに他なりませ ん。その “ 想い ” のバトンを次に渡せるよ う微力を尽くしたいと思います。
 言うまでもなく、日本 ILO 協議会は、 ILO 駐日事務所と連携する、ILO 活動推進 議員連盟とともに二つの車輪の一方です。 政府・行政、使用者諸団体、労働諸団体 はもとより、関心を共有する NGO 諸団体 はじめ、研究者や学生を含む一般市民の 方々のご理解とご支援がなければ、ILO 活 動の推進という目的を果たすことは、と てもかないません。改めて、皆様方のご 協力を心よりお願い申し上げます

理事長 大森 真紀
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